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宮崎地方裁判所 昭和50年(わ)176号 判決 1977年10月18日

被告人 金丸國光

昭二五・一・二六生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(被告人の性格、経歴及び本件犯行に至る経緯)

被告人は、宮崎県西都市において農業を営んでいた金丸今朝太、亡シズエの四男(第九子)として出生し、昭和四〇年三月西都市立妻中学校を卒業したが、生来、気が小さく淋しがりやの反面、衝動的、即行・短絡的性格と虚勢的・自棄的心情傾向から恐喝、強盗致傷、銃砲刀剣類所持等取締法違反などの非行を重ねて同年一二月二四日宮崎家庭裁判所で保護観察処分に、次いで虞犯と窃盗事件により同四一年一〇月三一日同裁判所で中等少年院送致処分に付され、同四二年九月右少年院を退院した。翌四三年二月一〇日、中学時代から文通や交際をしていた河野はつ子(昭和二四年四月生)と双方の家族の反対を押し切つて結婚式を挙げ(被告人の素行が悪く定職もなかつたため同女の父河野定文の強硬な反対で婚姻届はできなかつた。)、岡山県倉敷市の給食センターに就職したが、勤労意欲を欠き、実家の西都市に帰ろうとする同女を果物ナイフで刺し、さらに同女が西都市に戻つて身を隠すと睡眠薬自殺を図るなどして同女を呼び戻し、大阪に出て合板会社やパチンコ店で共稼ぎをしていたが、怠惰な被告人との生活に見切りをつけた同女が翌四四年二月一〇日の結婚記念日に被告人に無断で同棲先から出てしまつた。同女を深く恋慕していた被告人はこれに強い衝撃を受けて自暴自棄となり、同年三月二日出稼先の横浜でタクシー強盗を敢行し、同年六月二六日宮崎地方裁判所で懲役四年以上六年以下の判決を受け服役するに至つたが、服役中も被告人の心情を裏切るように無断で去つた同女に対する憤怒の念と、これをそそのかしたと邪推した同女の両親に対する怨みが募るばかりで、ついには同女とその両親を殺そうという考えまで懐いて昭和四九年九月一三日鹿児島刑務所を仮出獄した。その後は、身元引受人となつて出迎えに来た宮崎県児湯那川南町に住む実兄金丸秀人方に身を寄せ、同人の営む農機具販売の手伝いをしたり、西都市大字三納で造園業と籾殻集荷業を営む義兄有田紘夫方でその仕事を手伝つたりしていたが、その間の同年九月二二日ころ、中学二年先輩で少年時代の前記非行の共犯者でもあつた金雄熙が友人の田垣修一とともに訪れて服役した事情や今後の身の振り方などについて雑談したことから、再び金雄熙と親しく付き合うようになり、同人から宮崎市内の井根組構成員大野友広を紹介され、同年一二月初めのころから宮崎市内の大野方に寄宿して飲酒遊興・無為徒食の生活を送り、またそのころ、大野から金融業と移動食品販売業を営むかたわら競輪の呑み行為の胴元をしていた千原こと千二出を紹介されて時々賭金の集金などの手伝いをすることもあつたが、このような生活にも嫌気がさし、同年暮から正月にかけて一旦は金丸秀人方に立ち戻つたものの、翌五〇年一月中旬ころから、宮崎市千草町所在の宮崎ビジネスホテルに投宿し、常に前記河野はつ子とその両親に対する許し難い気持を懐きつつ、宮崎市内の歓楽街で酒色に溺れているうち遊興生活費に窮し、同月一七日夜、金雄熙に金を持つている一人暮しの女の家に押し入ろうと考えている旨を打ち明け、同人運転の自動車で宮崎市内の金物店に行き刺身包丁一丁を買つたうえ、前記義兄有田紘夫方で働いていた当時造園工事の手伝いで知つた宮崎市下北方町の永山芳子方まで金雄熙に送らせて一人で同女方に押入つたものの、同女に説得されて金品の強取を諦めたが、これが契機となつて、当時負債をかかえ営業資金にこと欠いていた金雄熙と相謀つて、以下の犯行に及んだ。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  金雄熙と共謀のうえ、宮崎市江平東二丁目四番五一号において金融業、移動食品販売業を営む千原こと千二出(当時二八年)がいつも多額の現金を動かしていることに目をつけ、同人宅に夜間押し入り現金や預金通帳を強取し、犯行の発覚を防ぐため同人とその家族を殺害しようと企て、昭和五〇年一月二九日ころから三一日ころまでの間、金雄熙とともに、佐伯人史から猟銃一丁(昭和五〇年押第三八号の一)を借り、五六哲夫から猟銃用実包五発を譲り受け、約三メートルのロープ一本(前同号の六)、刺身包丁一丁、ゴム手袋二双、軍手一双、スコツプ一丁、懐中電灯一個、バツト一本を西都、宮崎の各市内の店で買い求め、死体を詰める唐米袋二袋(前同号の二)を盗んで用意し、死体を遺棄する場所として宮崎県宮崎郡佐土原町大字下田島の通称広瀬海岸や同県児湯郡新富町の新富町営塵芥処理場を下見し、右諸用具を金雄熙所有の普通貨物自動車内に積み込んで隠し持ち、

(一)  昭和五〇年一月三一日ころの午後九時ころ、金雄熙運転の右自動車で右千二出方前付近路上及び同人方と道路を隔てた向いにある宮崎東中学校運動場に赴き、被告人が猟銃と実包を手にし、金雄熙とともに千二出方の家人の動向を見張るなどして金品の強取並びに同人殺害の機会を窺い、

(二)  同年二月四日ころの午後九時ころ、金雄熙運転の右自動車で右場所に赴き、右同様にして金品の強取並びに千二出殺害の機会を窺い、

(三)  同月九日午後八時三〇分ころ、金雄熙運転の右自動車で右場所に赴き、右同様にして千二出方を見張り、更に金雄熙が千方門内に入るなどして金品の強取並びに千二出殺害の機会を窺い

もつて、強盗並びに殺人の予備をなし、

第二  前記千二出方の犯行計画を実行するまでの決断がつかなかつた後、今度は金雄熙が知つていた同県西都市大字南方二五八七番地の四において金融業、雑貨等販売業を営む一人暮しの永田ツヤ子(当時四八年)に目をつけ、同女方に押し入り現金、普通預金通帳及び印鑑を強取し、犯行の発覚を防ぐため同女を殺害してその死体を前記塵芥処理場に遺棄することについて金雄熙と謀議を重ね、同人が同年二月一五日ころ、前記田垣修一に右計画を打ち明けて誘い、同月一八日ころ、一度返還していた前記猟銃一丁を再び前記佐伯から借り、同月一九日ころの午後四時ころ、田垣を連れて前記金丸秀人方の被告人を訪れ、金雄熙運転の前記兇器類を積み込んだ自動車に被告人及び田垣が同乗し、永田の死体を捨てる予定の前記塵芥処理場を確めたのち、同日午後七時三〇分ころ、永田方店舗と道路を隔てた向いにある穂北小学校運動場内に右自動車を乗り入れ、ここに被告人ら三名は意思相通じたうえ、金雄熙と田垣が金融依頼の口実で永田方を訪れて同女に話しかけ、被告人が実包を装填した猟銃を持つて車内で待機し、金品の強取並びに殺害の機会を窺つたが、実行の決断がつかず、その後も前記宮崎ビジネスホテルに投宿している被告人と金雄熙の間で永田方の犯行計画を実行するべく共謀し、同月二六日午後五時ころ、金雄熙運転の右自動車で永田方店舗前路上に至つたが、同女が路上に出ていたので付近の堤防で待機し、その間に被告人と金雄熙は指紋を残さないようゴム手袋をはめ、被告人は猟銃に実包三発を装填して持ち、金雄熙は前記ロープ一本と刺身包丁一丁を身近かに用意し、同日午後七時過ぎころ、永田方店舗前に自動車を停め、店舗玄関ガラス戸を開けて金雄熙、被告人の順で永田方奥六畳間に至り、同所において、金雄熙が刺身包丁を同女の喉元に突きつけ、被告人が猟銃の銃口を同女に向けて構え、こもごも「静かにしろ。」「騒ぐと殺すぞ。」「金だ。」などと申し向け、被告人の指示で金雄熙が所携のロープで同女の両手を後手に縛り、切断した残余のロープ又は同室にあつたタオルを二つに切り裂いた一片で同女の両足首を縛り、もう一片のタオル(前同号の七)でさるぐつわをかませ、被告人が同女の目前で実包一発を更に装填して銃口を同女に向けて見張るなどの暴行、脅迫を加えて同女の反抗を抑圧したうえ、金雄熙が表六畳間の洋服箪笥と和机を物色して現金約一四万円を強取して折半したが、容易に払戻しを受けられる普通預金通帳は予期に反し二通で預金額も合計でわずか約二万七〇〇〇円であつたところから、他に約一三通あつた定期預金通帳(預金額合計約七四〇万円)で更にまとまつた現金を手に入れようと欲した金雄熙が「明日銀行に行つて金を持つてくる。」という同女の言葉に動揺し、同日午後一〇時ころ、以後の処置について相談するべく被告人を隣室炊事場に呼び寄せた隙に、密かに両手足のロープやタオルをほどいた同女が奥六畳間から逃げ出したが、その気配を察した被告人と金雄熙は直ぐさま同女を追いかけ、店舗玄関ガラス戸を叩きながら大声で助けを求めている同女を土間に投げ倒したうえ、両名で同女の頸部を両手で締めつけ、身動きしなくなつた同女の頸部にロープを巻きつけて交叉させ、被告人と金雄熙がそれぞれロープの片端を持つて左右から引き締めたうえロープを緊縛し、よつて、即時同所において、右絞頸により同女を窒息死させて殺害し、

第三  前記犯行に引き続き、金雄熙と共謀のうえ、前記永田方店舗内において、前記永田の死体を敷布団カバー(前同号の四)と毛布(前同号の三)で包んだうえ、前同日午後一一時ころ、永田の死体を前記自動車に積み込み、金雄熙が運転して宮崎県児湯郡新富町大字新田字藤山迫一三二三番地の一所在新富町営塵芥処理場に向かう途中、西都市大字調殿一五〇七番地の一先空地に停車して永田の死体を更に前記唐米袋に詰め、同日午後一一時三〇分ころ、右塵芥処理場に至り、永田の死体を塵芥投棄場の崖下約一三メートルに投げ捨てその上に付近の塵芥を覆い被せて埋没させ、もつて、永田の死体を遺棄し、

第四  金雄熙と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、

(一)  前記第一の(一)、(二)、(三)各記載の日時場所において、前記猟銃一丁及び火薬類である前記猟銃用実包五発をそれぞれ所持し、

(二)  前記第二記載の同月一九日ころの午後七時三〇分ころ、西都市大字南方二二九一番地所在穂北小学校運動場において、右猟銃一丁及び火薬類である右猟銃用実包四発をそれぞれ所持し、

第五  強盗罪による懲役四年以上六年以下の刑につき宮崎刑務所で仮出獄取消による残刑の執行を受けている既決の囚人であるとともに、前記第一ないし第四の罪で宮崎地方裁判所に起訴され、同被告事件の審理のため同刑務所に勾留されている未決の囚人であるところ、同事件の公判期日に同裁判所に出頭する機会を利用して逃走しようと企て、同刑務所内の作業に使用する竹ブラシの柄の部分をガラスの破片で削つて改造した長さ約一一・五センチメートルの先端鋭利な竹べら一本(前同号の一〇)を隠し持つて、昭和五〇年八月二八日午後一時一五分ころ、宮崎市別府町一番三二号所在宮崎地方裁判所第一号法廷において開かれた同被告事件の第二回公判期日に同刑務所看守部長日高美利、同看守押川千秋、同日高昇に看守されて出頭したが、同期日の審理が終つて閉廷した直後の同日午後二時三五分ころ、やにわに被告人席付近から前方に設けられた衝立を飛び越えて裁判官用出入口から逃走しかけ直ちに日高看守部長ら三名が同出口手前で捕えようとするや、右竹べらを握りしめた右手拳で日高看守部長の顔面及び押川看守の頭部をそれぞれ二回位殴りつけ、日高看守の左腕に咬みつくなどの暴行を加えて逃走しようとしたが、同所において日高看守部長ら三名に取り押えられてその目的を遂げず、その際の暴行により日高看守部長に全治約三週間を要する右鼻口部刺創、右鼻翼・下顎部切創等の、押川看守に全治約一週間を要する後頭部刺創の日高看守に全治約五日間を要する左上腕咬創の各傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)略

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為中強盗予備の点は包括して刑法六〇条、二三七条に、殺人予備の点は包括して同法六〇条、二〇一条、一九九条に、判示第二の所為は同法六〇条、二四〇条後段に、判示第三の所為は同法六〇条、一九〇条に、判示第四の所為中猟銃を各所持した点(判示第四の(一)の猟銃の各所持は犯意継続しているから一罪で、同(二)の猟銃の所持は同(一)との犯意継続が認められないから別罪)はいずれも同法六〇条、昭和五二年法律五七号(銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律)附則三項により同法による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項に、猟銃用実包五発と四発を各所持した点は同(一)、(二)を通じて同一の犯意を継続して各所持していたものであるから包括して刑法六〇条、火薬類取締法五九条二号、二一条に、判示第五の所為中加重逃走未遂の点は刑法一〇二条、九八条に、各傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当する。

判示第一の強盗予備と殺人予備、判示第四の(一)、(二)の猟銃各所持と猟銃用実包所持及び判示第五の加重逃走未遂と各傷害はそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、いずれも刑法五四条一項前段、一〇条により、判示第一の罪につき一罪として犯情の重い殺人予備罪の刑で、判示第四の罪につき結局一罪として刑及び犯情の重い判示第四の(二)の銃砲刀剣類所持等取締法違反罪の刑(懲役刑選択)で、判示第五の罪につき結局一罪として刑及び犯情の最も重い日高美利に対する傷害罪の懲役刑(但し、短期は加重逃走未遂罪の刑のそれによる。)でそれぞれ処断する。

以上は刑法四五条前段の併合罪であるが、後記量刑の事情の項で説示のとおり、判示第二の強盗殺人罪につき死刑を選択するので、同法四六条一項本文により他の刑を科さず、訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させない。

なお、検察官は、判示第二の所為中被告人が金雄熙及び田垣修一と共謀のうえ、昭和五〇年二月一九日ころの午後七時三〇分ころ、猟銃、実包、刺身包丁等の兇器を持ち永田方に赴いてなした強盗並びに殺人の予備の事実につき、被告人と金雄熙両名の共謀による強盗殺人罪の併合罪として起訴しているが、前掲関係証拠によれば、判示第二の犯行は被告人が当初から金雄熙と相謀つて計画し、その犯行の目的、被害法益、場所も同一で犯行日時も近接し、計画ないし実行された犯行の手段、態様、被告人の役割も同様であることが明らかであつて、これらの事実に徴すると、判示第二の犯行は終始継続した一個の犯意に基づく一連の行動により所期の目的を達成したと認めるのが相当であるから、右の強盗並びに殺人の予備は当然に実行行為に吸収され強盗殺人の一罪が成立するにとどまると解する。また、判示第一の(一)、(二)、(三)の千二出方の各強盗並びに殺人の予備のように、単一の目的のために、同一の犯行態様で一〇日間に、三回にわたり、終始強盗殺人の意思を継続して反覆累行したものについては、それが既遂に至らなかつた場合においても、各予備行為全体を包括的に観察して、一個の強盗並びに殺人の予備の行為と評価し、強盗予備並びに殺人予備の各一罪が成立すると解する。

次に、検察官は、判示第五の所為につき加重逃走未遂罪のほかに公務執行妨害罪の成立を主張するが、加重逃走罪は、その規定の位置、構成要件的内容、法定刑等に徴すると、既決、未決の囚人が公務員たる看守に対し暴行、脅迫を加えその公務の執行を妨害して逃走を図る場合をもその構成要件的類型として評価の対象に包含していると解されるから、判示第五のような場合にあつては加重逃走未遂罪が成立するにとどまり公務執行妨害罪は成立しないと解する。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、本件各犯行当時心身ともに疲労の極に達しており、本件一連の犯行の遂行過程に見られる被告人の自暴自棄的生活傾向の事実を併せ考えると心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、前掲鑑定人鹿子木敏範作成の鑑定書及び被告人の捜査、公判の過程における供述によれば、被告人が本件各犯行を犯すに至つた基底には、被告人の著しい衝動的、即行・短絡的性格と虚勢的自棄的心情傾向が認められるけれども、本件各犯行に至るまでの経緯、各犯行の計画とその準備、犯行の模様に照らすと、本件各犯行当時の被告人の行動はその場の状況に応じた相応の対処をしており、その犯行の遂行過程に被告人の精神状態の正常を疑わしめる点はないので、本件各犯行当時の被告人は是非善悪を弁識し、その弁識に従つて行動する能力を著しく減弱していなかつたことが明らかである。

次に、弁護人は被告人の自首を主張するが、前掲1、9、10、20、21の各証拠によれば、被告人は、昭和五〇年三月一二日午後七時四四分ころ、当時宿泊していた宮崎市瀬頭二丁目所在レストラン「ホテル大平」から「自首したいがすぐ来てくれ。ホテル大平にいる。人を殺している。俺は金丸という者だ。」という緊急通報(一一〇番)をし、急行した宮崎警察署員に同行して同署に出頭し、「一五日位前西都市穂北で金融業の永田という五〇歳位の一人暮しの女を殺した。死体を遺棄した場所は言えない。早く逮捕してくれ。」と飲酒して相当興奮した状態で述べ、死体の場所を追求されるや、「それは幽霊の出るところである。」「それは延岡か大分かわからない。」などと二転三転し核心に触れると黙秘するので、同日午後一一時ころ事情聴取が不可能になつたが、西都警察署に照会したところ、昭和五〇年三月七日永田ツヤ子の家出人捜査願届が出されていることが判明し、被告人に対する殺人容疑が濃厚と認められたので、同日午後一一時一五分ころ、かつて被告人を取調べたことがある同署警部補河野幸徳が被告人に対する事情聴取を引き継いだが、被告人は、河野警部補に対しても、「殺したことは本当だが埋めた場所は言えない。」「酔つておつたので俺が警察をからかうつもりで電話した。」「永田さんが行方不明になつていることは知つていた。」「酔つていたから警察が俺の言うことを本当にするかどうか電話してみたのですよ。俺は知らない。」「明日の午後一時に来ますから今夜は帰して下さい。」などと繰り返すので、これ以上被告人を引き留めておくことは不可能と判断して被告人を帰したが、翌一三日午後一時に出頭せず、同月一五日警察の要請により実兄金丸秀人に伴われて西都警察署へ出頭した際にも、被告人は永田ツヤ子に対する犯行を否認し、「先に宮崎警察署に自首したのは酒に酔つていたので警察をからかつたのである。」旨述べたことが認められる。そうすると、以上の被告人の言動は曖昧で趣旨一貫せず、これを全体的に考察するならば、被告人において自発的に捜査官憲に対し永田ツヤ子に対する犯行を申告してその処分を委ねる真摯な意思に出たものとはとうてい認め難いので、被告人の右行為はいまだ刑法四二条にいう自首には該当しないものと解するのが相当である。

したがつて、弁護人の各主張はいずれも採用しない。

(量刑の事情)

被告人の量刑について検討するに、判示第二の強盗殺人罪は、さきに認定したとおり、その動機原因は悪質で同情の余地はなく、その犯行は金雄熙としばしば謀議を重ねて兇器を準備し、犯行前から殺害を予定して死体を遺棄する場所を下見するなど極めて用意周到・計画的で、一人暮しの永田ツヤ子を突如襲つて刺身包丁と猟銃を突きつけ、両手足を縛り、さるぐつわをかませ、長時間死の恐怖のどん底に陥れたうえ、ゆうゆう強取した金員を同女の目前で折半し、一瞬の隙をついて同女が逃げ出すや、間髪を入れず追いかけて逡巡することなく完全に息の根を止めるまで念入りに殺害したその犯行態様は大胆不敵、残忍、冷酷というのほかなく、しかも同女を殺害後、約一時間にわたり散乱した屋内の後片付けをして同女があたかも外出中であるかの如き外観を作出し、同女の死体を無造作に唐米袋に詰め込んだうえ、こともあろうに塵芥処理場の崖底に投げ捨てその上に塵芥を被せるなど当初の計画どおりあくまでも冷静かつ細心に犯跡を完全に隠ぺいすべく工作しており、尊貴な人命を安易に奪つたうえその死体をごみくず同然に投棄したことに及んでは人間的心情の片鱗すら見られず、同女の末期の悲惨さを物語る証拠写真は目を覆うばかりでまことに痛ましい限りである。

加うるに、共犯者金雄熙と比較するとき被告人は年下ながら一連の犯行過程において概ね主導的役割を果しており、犯行後も歓楽街で遊興し、一旦は永田ツヤ子に対する犯行を自から警察に申告した(これは被告人に残る良心の苛責から出た行為で、捜査を容易にした有利な情状とみるべきであろう)がすぐこれを否定し、その後の捜査過程の言辞には哀心から同女の冥福を祈り自己の罪の重大さを反省悔悟する気持は窺われず、更には公判廷から逃走を図り隠し持つていた兇器で看守部長ら三名に傷害を負わせるなど被告人の非情で兇暴な性格が顕著に認められる。そして、ようやく公判の最終段階に至り自己の犯した大罪に対する償いを自覚する言動に触れて、当裁判所としても救われた思いがするのであるが、更に溯れば被告人は少年時代から多数の非行、犯罪を繰り返し、その都度被告人を暖く迎え入れてその更生に手を差延べる親兄弟らの願いにそむき、前記河野はつ子らに対する殺意まで懐いて仮出獄し、わずか約四ヶ月で本件各犯行を企図し、ついには被告人と無縁で何の罪もない永田ツヤ子を殺害、遺棄したのであつて、被告人の自己中心的な兇悪性、反社会性、人命軽視の犯罪的性格は極めて強固であるといわなければならず、社会的危険性も無視できない。

以上の諸点を考慮するならば、被告人のために有利と思われるすべての情状を最大限に斟酌しても、被告人は自らの生命をもつてその罪の償いをするほかはないとの結論に到達せざるを得ない。当裁判所としても、たとえ国権の発動たる刑罰によつてであれ、全地球より重い個人の生命を剥奪するという回復すべからざる刑を科するについては特に慎重、厳粛に熟考し検討を加えたのであるが、そして被告人の肉親らの悲痛を思うときまことに忍びがたいものがあるけれども、ついに被告人に対し死刑をもつて臨むほかないものと思料するに至つた。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 米澤敏雄 円井義弘 木下徹信)

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